2015年06月03日

北の建物の守りと、

6159252dd42a2834ea22700359b5c9ea15cebf36.jpg
返答した奴らが馬を降り、イ・ソンゲとアン・ジェの背後、
闇の中へと駈け出す。

残りの兵たちが続いて馬を降りる。
「残兵はどこに」
俺の問う声にイ・ジャチュンが苦く笑む。
「南北の建物の守りと、チョ能量水総管の護衛に付いております」
「チョ総管はどこに」
「門を死守する気があれば、既にここにいるかと。
開門の 時刻も、お知らせしてあります故」

篝火に照らされ、昼のように明るい門前。
そのイ・ジャチュンの言葉に天を仰落妝產品ぐ。
つまりこの双城総管府の大将、あの雪中で見たチョ総管は
姿すら見せず、兵を見捨て、尻尾を巻いて逃げたのだ。

出兵前、まだ共に出ると知らず、俺は典医寺でお伝えした。
前の戦より簡単だ。膳立ては整っている。
上がった飯を喰らい、すぐに戻る。

しかし、ここまで呆気ないとは思わなかった。

この身から一歩離れ、両脇をチュンソクとトクマンに護られ
静かに馬から降り立つ小さな影が、この足元へ伸びてくる。

大きな鎧姿の影の中、細く揺れる影は頼りない程だBB紅疹

イ・ジャチュンが顔を上げ、篝火の中その姿を見つけ眸を瞠る。
「もしや、貴女様は」
「え、えと」

イ・ジャチュンの立場が判らぬ以上、この方も名乗って良いか
逡巡されたのだろう。
あの当時は双城総管府千戸長、元の手の者だった。

一歩大きく動き、この方の姿を半分隠すように立ち塞がる。
気づいたチュンソクとトクマンが、一拍遅れて壁のように
この方の左右に添うた。

「詮索不要。軍医殿だ」

イ・ジャチュンは言い放つこの表情を見て思うところがあったか、
それ以上は問わずに頭を下げた。
「失礼致しました」

やはり笠だ。この方には笠が必要だ。少なくともスゲチマが。
こうしてまた一つ覚える食海鮮香港

己の悋気の問題だけでなく、まだ顔を隠す必要がある。
それでも国が強くなれば、いつかこの方がその明るい笑顔を
朝の陽の中、夜空の下、何処であれ振り撒けるようになれば、
この国は、今より住みやすくなっているずだ。
posted by 遥香はるか at 15:59| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

書ける時に書くという状態になったから

今日は、日曜日らしい? 日曜日だった。来週から、忙しくなるから、余計にそう感じる。
お気に入りブロガーさんたちの記事は、携帯でいつも拝読している。今日は、パソコンで読ませて頂いた。むふふふ、やっぱ、凄いなぁーと思う。私の「素晴らしいブロ愚」の第一発見者であるブロガーさんの記事。ブログを書く、続けることへの根源的な問いがいつもフラッシュバックのように流れていて、大変に興味深い。記事の更新が途切れると、ちょっと、あれれれ、となる。長期間続く、その原動力と自己分析が、その根源が、私に諸々の示唆を与えてくれる。
それとね、系たんさん、私は、いつも「薄いサングラス」をしているのですよ。今日の記事で、あっ、そうなんだぁーと思いました。伊達眼鏡でも、もちろんないのですけれど、日光を見ていると涙が出て来るので、サングラスしてないと渋いのです。
格好付けている根暗の親Nutrilite父で、もしかすると、元その筋系にも見えるので、ちょっと、哀川翔みたいになるけれど、目に腹は代えられない。と、よぉーーーく読むと、書き手の真意は「俺はハンサムだろっ!」だ。
ところで、とうとう、私の愛車「ホンダシビック1997」が力尽きた。まあ、二十一万キロ弱走っている。中古車で購入したから、私の走行距離は十五万キロぐらい。十二年弱、私、カミサン、私たちの家族と共にしてくれた。さびしいなぁー、機械にだって愛着は湧く。ターミネーター2だって、そうだった。アスタラビスタっ! だぜって。でね、廃車は嫌だからとインターネットに広告出したら、一回、レストランへ家族で行くぐらいの値段で、あっと言う間に売れてしまった。アフリカのどこかの国へ行くみたい。この諸々の手続きの問題点は、暇をみて「フランス生活情報」として書こうかな。一歩、手続きを間違えると、ヤバイことも起きるから、在住者のために書いておこうとも思っている。
すいません、書ける時に書くという状態になったから、一記事が長くなる。
で、その「自動ロボットブログ」。このメリットが良く分からない。まあ、算数上は、広告掲載のための自動ブログなのかしら? でね、なんで裕イサオのブログが「自動選択」されているのか分からないけれど、本体の閲覧数は一桁台。私のコピー側も同じである。なんのためなの? うーーーん、前にも書いたけれど、そんなせこいことするなら、私のブログに堂々と、広告出していいから。なんか、左下の方に、競馬の広告なんかが自動的に入っている、今でも。別に、いいよって、それで。でもな、私もプロピアニストの端くれ。はい、盗用しましたぁーーー、ごっつぁんでぇーーーす。これは、拙いぞ。やっぱ、そういうスタンスの方々には、私はご請求書をお送りします。本意ではないけれど、我々、個々人への、「営利なきブロガー団」への冒涜と思う。ロボットの後ろにいる責任のない人たち、私に一報して欲しいと思う。と書いても、読んでんのあんたらじゃねぇーーー、から、書き手はどうしたらいいの?
posted by 遥香はるか at 16:27| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

落語口調

退廃主義や頽廃派と呼ばれた戦後デカダン(décadentisme)派と言えば、
代表格は何と言っても太宰 治だろう。
小説『人間失格』『斜陽』などの作品で、一時代を築いたとも言える。
だけど、これらの作品だけで「これが太宰だ」とは、言ってしまえないところがある。
彼の短編小説集に『新釈諸国噺(ばなし)』というのがある。
これは、井原西鶴が書いた小説をたたき台として、太宰流にアレンジして書き改めたもの。
この冒頭に凡例として書いているが、
そこに「西鶴は世界で一番偉い作家銅鑼灣 髮型屋である」と表現している。
この『新釈諸国噺』の中に
原稿用紙30枚ほどの『裸川』という作品がある。
これは、もちろん西鶴の『武家義理物語』をアレンジしたものだが、
もともと『太平記』の青砥(あおと)左衛門尉藤綱(ふじつな)の
評伝部分を井原西鶴が自分流に脚色したもの。
そうすると、太宰作品は、アレンジのアレンジということになる。
『太平記』に書かれている、もともとの話を紹介すると、
「青砥藤綱は、鎌倉北条氏の時代に裁判官をしていたが、
ある夜、金十文を鎌倉の自宅近くの滑川(なめりがわ)に落した。
川の中に落ちたが、そのまま放銅鑼灣 髮型屋置しないで、夕暮れにも関わらず
たいまつを五十文で買い、水の中を照らして、とうとうそのお金を見つけた。
その行ないを見て、人は大損だと笑ったが
「十文は小さいが、これを無くすことは天下のお金を無くすこと。
五十文を無くしたが、これが流通することによって人々の為になった」
と諭したという話。
西鶴は、さらに改編して、探す者が不正をする話とし、
その悪事に染まず志を高くした武士の行為が殿様に聞こえ、
「あっぱれ」として高く登用されたというストーリーに改編している。
この西鶴『武家義理物語』は”講談口調”で読むと、それらしく響く物語。
それを太宰はさらにアレンジしてオチ咄にしたのが『裸川』。
これは”落語口調”で読むと、面白さがマシ加わるというもの。
このようなオチ咄にこそ太宰の妙味がある。
とは言え、「川」だけに「オチ」というのは頂けない。
posted by 遥香はるか at 11:23| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。